カルマだから仕方がないと諦めているならば…
トラウマ、不運な出来事、心身の不調などの辛い体験は
多かれ少なかれ、どんな方にもあることと思います。
人間関係においては他者からの攻撃、
身体面では深刻なご病気・怪我などについても、
自分がまずいことをしてしまったからだ…とか、
不摂生、不注意だったからだと身に覚えがあれば、
納得が出来て、前に進めるかもしれません。
が、振り返ってみても思い当たることはなく、
理由が見つからないと思われるような場合には、
その不可解さによって、
いっそう苦しみが深くなっていくかもしれません。
いったいなぜこんな目に合うのだろう…
…と考えてみたとき、
頭に浮かぶのは、カルマです。
今生は、落ち度はないけれど、
もしかすると、いわゆる前世・過去生において、
何かとんでもないことをしていたのではないかと思うのです。
そう考えることで心が軽くなり、気持ちが落ち着くことも
あるかもしれません。
そのように考えていらっしゃる何人かの方が、
セッションルームにお越しになったことがあります。
まずカルマだから仕方がない、あきらめるほかはない…
という考え方については、本当にそれでよいものだろうかと思います。
次々に降りかかってくる不運や不幸の中には、
確かに前世・過去生からのカルマに起因するものも
あるかもしれません。
けれども、カルマとは、その方が、何かのバランスを取ろうして
ご自分で引き寄せる体験ですので、
そのことを理解して、意識的に体験するのと、
わけもわからない出来事の連鎖に為す術もないのでは、
心理的、身体的に、違いを生むのではないかと
体験的に感じています。
たとえば、わが子を虐待していた過去生があったとしましょう。
そのことに罪悪感や後悔の念がある場合、
シンプルに考えてみると、
それを解消して調和を取り戻したいという思いから、
バランスを取るために、今度はその方が虐待されるような環境を
選んで生まれてくるかもしれません。
これがカルマのわかりやすい事例です。
今生、ものごころついた頃から虐待を受け続けていたその方は、
そのことを理不尽と感じて、大きな怒りや恨み、復讐心にとらわれたまま、
人生の時間を過ごすことになるかもしれません。
けれども、前世・過去生療法によって、探求を進め、
なぜ虐待が起こったのかを理解して癒すことで、
人生には変容が起こっていくと思います。
その後、虐待そのものが軽減されるか、無くなるか、
あるいはそのまま続いていくのかは、
その方が過去生のご自分を受け入れ、
認めて許すことが出来るか否かということによって変わっていくでしょう。
どうしても自責の念が消えずに、
深い部分でご自分を許すことが出来ない場合、
それが意識化されていないとしても、
否定的な体験は続き、バランスが回復されるまで続くかもしれません。
カルマは、運命や宿命ではなく、自分で作り出すものです。
また、ひとたび動き出したら、完了するまでは誰にも止められず、
変化も起きないものかと言われたら、
私はそうではないと考えています。
不運で不幸な出来事が、たとえカルマによるものであったとしても
耐え忍ぶほかは仕方がないというわけではありません。
探求による気付きや洞察、自己理解などは、
心身を癒し、統合へと向かわせてくれます。
あきらめたり、投げ出したり、
甘んじて受け入れたりする前に、
一度、探求してみることをお勧め致します。
前世療法 過去生セラピー 心の癒しと探求ナビ
2014年09月02日