本当は必要のなかった思いがカルマとなる時
少し古くなりますが、
2001年に公開され大ヒットしたフランス映画「アメリ」を
ご覧になったことがあるでしょうか?
この映画は、アメリの子ども時代のエピソードから始まります。
その中で、特に印象深いのが、
カメラで写真を撮ることを楽しむアメリの目の前で、
ある日、自動車事故が起こり、隣人が、その事故の原因は、
アメリの写真撮影にあるのだと囁くシーンです。
もちろん、両者に因果関係などはなく、
アメリはたまたまその場に居合わせただけ。
ちょっとしたからかいか、冗談のつもりだったのでしょう。
ところが、子どものアメリは、隣人の言葉を真に受け、
世界中の災害や事件をテレビで見るたびに、
それらの責任は、全て自分にあると思い込んでしまうのです。
私はこのエピソードが忘れられないのですが、
それは、前世療法セッションをしていると、
これに似た状況をたびたび目撃することがあるためです。
幼い子どもがしばしばすることですが、
本来は関連性のない物事を、自分に引き付けて
深刻に受け取ってしまうことがあります。
たとえば、遠足の日の朝、雨が降ってしまったのは、
昨日、嫌いなニンジンを残したせいだ…
パパとママが喧嘩するのは、
自分がいい子にしていなかったためだ… など。
幼少期を振り返ってみると、
迷信とも、不思議な思考とも呼べそうな思い込みの一つ二つが、
どんな方にも思い起こされるのではないでしょうか?
それは誤解や勘違い、根拠のない思い込み、
本当は、抱く必要のなかった負の感情です。
このようなことが、前世・過去生で起こったと想像してみましょう。
幼い子どもであるその人物は、関係のない出来事を結び合わせ、
そのことで、心を悩ませ、自責の念や罪悪感を持ってしまいます。
それが解消されないまま、その転生で死を迎え、再び生まれ変わってくると、
それらの否定的なセルフイメージや、負の感情だけが、持ち越されます。
そして、なぜそうなのかわからないままに、自尊心を持てず、卑下したり、
自ら被害者となるような状況に引き寄せられていったりするのです。
自己価値が低くなり、どれほど優秀で成果を上げていたとしても、
「まだ十分ではない、もっと頑張らないとだめだ」と感じるのです。
ご家族や周囲の人々は、
このような人物に接して、どう思われるでしょうか?
実は、そもそも転生をしてくる際に、
自分の自己価値をいっそう貶めるような両親や友人、知人などを
選択していることが少なくないといったら、驚かれるでしょうか?
全てのケースがそうであるわけでありませんが、
罪悪感や自責の念は、それを浮き立たせ、
エスカレートさせる環境を選ぶことがあります。
いわゆるカルマの引力と呼ばれる作用です。
そうすることになって、その負の思いを自覚できるようになり、
手放すことが可能となります。
前世療法が、気休めや娯楽ではなく、癒しのツール=セラピーである所以は、
こうした否定的な感情やセルフイメージ解放し、心を癒して、
もっと自由に自分らしく生きていく可能性をひらくためです。
何故なのか理由がわからない否定的な思いが、
一体どこから来ているのかといえば、
完全主義で厳格なご両親に、叱責されたり、否定されたり、
過剰な期待をかけられたりしたためだとお考えになるでしょう。
しかしながら、では、なぜそのようなパーソナリティの
ご両親を選んだのかと言えば、
その答えは、思考や分析によっては見つからず、
前世療法・過去生セラピーのトランスパーソナルな探求によって
はじめて見出されるでしょう。
理解、納得が出来ますし、そこから癒しと解放が促されていきます。
さて、映画に出てくる小さいアメリは、その後、どうなったでしょうか?
幸い、両親によって真実を知ることとなり、
善からぬことを吹き込んだ隣人に、復讐を果たしました。
復讐…?
復讐は、ドラマティックで、エキサイティング。
いつの世も語り継がれ、小説や映画の題材として人気です。
復讐もまた、カルマの大きなテーマとなり得る行動です。
それについては、また別の機会に書いてみたいと思います。
2016年01月19日