前世療法と言えば、この人生の目的 ?
前世療法には、人気のテーマが幾つかあるのですが、
私どものセッションにお越しになる方は、
「人生の目的・魂の計画」を探求したいという方が
多くなっています。
生きていることの意味や意義を見出したいという願いは
誰もが一度は持つことのあるもの。
何のために生まれてきたのか…?
というのは、深遠なテーマであり、
普遍的な問いかけであると言ってもよいでしょう。
順風満帆の毎日では、あまり意識されないかもしれませんが、
挫折や逆境、心身の不調、不運などに見舞われると
「そもそも自分とは…?」という根本に立ち返るものです。
実は、私にも、かつて人生の目的を
集中して探求した時期がありました。
前世療法をメインとして、そのほかの方法も幾つか用いて、
何をしたくて生まれてきたのかを探っていったのですが、
どんな方法を使っても、答えはほぼ共通するもので、
それは「自分を癒し、他者の癒しのサポートをする」ということ。
いずれも同じ目的に行き着くため、
転生の動機は、シンプルで焦点が絞られているものなのだな…
という印象を受けたことを覚えています。
今生の人生の目的と、直接結び付く前世のカルマ的な理由は、
簡単に言ってしまうと、外科医として
もっと多くの人を癒したいと望んでいたのにもかかわらず、
若くして戦死し、完了できなかったため…ということになります。
前世で果たせなかった切実な願いをかなえ成就させるために、
再び地球に戻ってきたということになるでしょう。
その前世の記憶の断片のような印象は、いつもどこかに残っていて、
まるでこの人生は、前世の続きのような感じも受けています。
前世療法、ヒプノセラピー、多次元セラピーなどをさせていただいて、
10年ほどになる現在、振り返ってみますと、
当時とは少し異なる理解が生まれてきたことに気付きました。
「癒し」というテーマは、揺るぎなくあり続けていますが、
自己と他者という点については、カルマとしての理由とは、
また少し異なる視点が生まれてきています。
セラピストやヒーラーを目指すならば、
まず取り組むべきは、自己の癒しであるというのが
一般的な考え方だと思います。
自分の心と向かい合い、徹底的に癒しに取り組むことで、
同じ問題を持つクライアントの方と出会っても、
巻き込まれたり、投影したり、避けたりせずに
その方の問題をあるがままに
冷静に見ることが出来るようになります。
セラピーをすることによって個人的な問題を回避できたり、
他者をサポートすることでプライドを保てたり、
自分の存在価値を確認出来たりするのでは、
セラピーそのものが不純になりますし、
クライアントの方に対しても、失礼で有害なことになりかねません。
自分を癒すということは、時には暗い影やドロドロした感情などとも
向かい合わねばならないため、楽しいばかりのものではありません。
が、セラピストとして開業する前に、
10数年を費やして、さまざまな代替療法、
セラピー、ワークショップ、ヒーリングなどを体験し、学び、
自分の癒しに取り組んでみて、
人が自己の癒しを果敢に実行していくならば、
大きな変容や成長につながることは間違いないと思っています。
このように、私の人生の目的は、
どちらかといえば、他者の癒しというよりも、
むしろ自己の癒しのほうが、
現実的で納得できるテーマと感じていました。
ところが、他者の癒しのサポートは、
実は自分を癒すことにもつながることを、
最近、実感するようになってきました。
セッションルームにお越しになる方と会い、
癒しのサポートをさせていただくことは、
実にさまざまな気付きをもたらしてくれます。
その方への理解と共感、自分への理解、
そして人間存在や魂に対する理解が深まっていきます。
そしてたくさんのことを考えるきっかけを与えられ、
個人的な成長が促されていきます。
人生の流れの中で、ある時期に受け取った気付きが、
時を経てまた深まり、広がり、さらなる気付きとなっていくのです。
前世療法の個人セッションは、
こうした気付きに満ち溢れているものです。
セッション直後に、気付いた、分かった…と思ったことが、
その後の人生経験を通じて、いっそう深い洞察に発展、変容していくのは、
輪廻転生を通じて魂が進化していくプロセスの、ある期間を再体験できる
前世療法ならではのメリットなのではないでしょうか?
前世療法のセッションでは、
一つの前世・過去生にまつわる個人的な気付きから、
魂レベルの壮大な進化の流れを垣間見るような体験を
させていただくことがあります。
クライアントの方も、前世・過去生の印象深い出来事や人物、
風景などのイメージを大切に受け取られ、持ち帰られています。
セッションの後までも、
じわじわと癒しと気付きの効果がやってくるのは、
ある程度、時間が経過してみないと、わからないかもしれません。
けれども「人生の目的」をわかって生きていくのと、
知らないまま生きていくのでは、
ゆくゆく大きな違いを生みそうなことは、予感できます。
この人生を終える時、何が起こるのか…?
どんな心境となっているのか…?
その時のことを想像してみると、
魂が望む「人生の目的」を果たした静かな充足と達成感が
そこに在ることを願わずにはいられません。
皆さまはどうお考えでしょうか?
2015年11月05日