「花子とアン」から前世の戦争体験へ
小学生の頃、
モンゴメリの「赤毛のアン」を愛読していたことから、
朝ドラ「花子とアン」を欠かさず録画して
興味深く視聴しています。
激動の時代を生き、戦火の中でも
カナダの恩師との友情と、自らの「生きた証」のために
「赤毛のアン」翻訳への情熱を失わなかった
村岡花子さんが生き生きと描かれています。
毎回、胸にジーンとくる場面やセリフがあり、
良く練られた脚本の巧みさや、
人気を集めている三輪さんのナレーションなど
魅力に富んだドラマになっていると思います。
先日、花子さんの腹心の友、蓮子さんの息子さんが、
短い休暇の後、戦地へ赴くシーンがありました。
最愛の息子さんを送り出す蓮子さんの胸中を
仲間由紀恵さんが演じておられました。
私はこうしたシーンを目にすると、
平静ではいられなくなります。
特に、これから戦地へ向かおうとする若い人と、
それを見送る母親、家族…、
そして夫や父親の戦死の知らせを受け取った家族…。
それは、おそらく近い前世・過去生で、
戦争の時代に生き、戦死しているためだと思います。
このような場面に触れながら、潜在意識から浮上してくる
まだ癒されていない辛い思いが
少しずつ解放されていくかのようです。
前世・過去生において、徴兵や空襲、疎開、
あるいは戦地での過酷な日々を過ごした方は
今生、数多く生まれ変わっていると言われますので、
皆さまの身近なところにも、たくさんいらっしゃることでしょう。
そのような方々にとっては、
戦争をテーマとした映画やドラマ、小説などは、
とてもフィクションとは思われず、
他人事ではないインパクトを
受け取っておられるのではないでしょうか?
「花子とアン」に限らず、
戦争にまつわる事物を見聞きするたびに
そうした方々の心に浮かぶのは、
おそらく、ドラマなどを見ている現在と、
不思議な感じで通底している
過去生の記憶の名残のようなものかもしれません。
雰囲気、空気感、音の気配、身体感覚などに残るそれらが
潜在意識の中からふいにかすかに立ち現れるような感覚と
言ってもよいかもしれません。
前世・過去生で、戦争の悲惨さや狂気を体験なさった方は、
理屈ではなく、とにかく戦争は、無条件でNG…という感情が
湧き起こってくるようです。
この理屈ではないところが、思考を越えて今に続いている
魂の歩みを垣間見せてくれるようです。
それにしても、前世療法・過去生セラピーで、
セッションルームにお越しになる方々の中にも
少なからずこうした方々がいらっしゃるのには、
驚くと同時に感慨深さを覚えます。
さまざまな時代や地域での戦争、先の世界大戦、
広島、長崎の原子爆弾を体験されていた方々も
何人もおられます。
前世・過去生において、心残りだったことや後悔、
本当は行いたかったのにかなわなかったことなどを、
今度こそ平和な時代、平和な場所で
やり遂げ完了させたいという
強い願いや衝動が、深い部分から現れ出ているのを
感知するためなのかもしれません。
2014年09月15日